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福岡高等裁判所那覇支部 昭和48年(う)11号 判決

主文

原判決中被告人両名に関する部分を破棄する。

本件を那覇地方裁判所に差し戻す。

理由

本件各控訴の趣意は、検事川崎謙輔作成名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、つぎのとおり判断する。

一控訴趣意第一点(法令解釈適用の誤りの主張)について。

所論は、要するに、琉球列島出入管理令(以下「出入管理令」という。)二九条、四〇条の規定および琉球列島米国民政府布令一四四号(以下「布令一四四号」という。)二、二、二七・二、二、二七、一の各規定は、沖繩の復帰に伴う特別措置に関する法律(以下「特措法」という。)二五条一項の規定によつて沖繩の本土復帰前の行為についてはなお効力を有するのに、本土復帰後は憲法の諸規定に照らし、その効力を有しないことになり、結局犯罪後の法令によつて刑が廃止されたことに当たるとして免訴を言渡した原判決には、法令の解釈適用の誤りがあるというものである。

よつて、所論にかんがみ審按するに、まず、被告人らは、右布令制定の根拠となる日本国との平和条約三条の規定は無効であると主張するが、右条約は、憲法の定める手続に従い国会の承認を得たのち批准されており、右三条の規定は一見明白に憲法に違反するものとは認められないから、これを無効ということはできない。

つぎに、アメリカ合衆国が、統治権にもとづき、琉球諸島等への出入を規制し、その違反者を処罰する旨の規定を設けたことは、国際慣習法に準拠し合理性のあるものであり、また近代民主主義国家の国民が享受する基本的諸権利を侵害するものではないから、右出入管理令二九条、四〇条および布令一四四号二、二、二七・二、二、二七、一の各規定は、その内容自体無効ということはできず、いわゆる沖繩の本土復帰の時点においては効力のあるものというべきである。

そして、特措法二五条一項前段によれば、同法施行の際沖繩に適用されていた刑罰に関する規定は、政令で定めるものを除き、同法施行前の行為について、なおその効力を有するものとされている。被告人らは、右同項の規定は、憲法一八条、三一条および三九条に違反する旨主張する。しかし同項の規定は、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」五条三項の刑事裁判権の承継の規定をうけて沖繩の本土復帰前の行為であつて、復帰がなければ犯罪として当然に処罰されたであろう行為を、沖繩の本土復帰後も同様に処罰することにより、復帰前後の沖繩の社会秩序を維持し、その法的安定性を確保し、もつて、沖繩の円滑な本土復帰を図ることを目的としたものであると解され、その正当性および合理性は十分に是認することができるし、また、行為時においては犯罪とされない行為を処罰したり、行為時よりも重く処罰するものでないことも明らかなところであつて、したがつて同項の規定は、憲法一八条、三一条および三九条のいずれの規定にも違反するものではないものといわなければならない。そして、特措法二五条五項は、「……出入国その他の行為で、この法律の施行前に行なわれたものに対する罰則の適用については、沖繩と本土との関係は変更がなかつたものとみなす。」と規定する。ところで、原判決は、前記出入管理令二九条、四〇条および布令一四四号二、二、二七・二、二、二七、一の各規定は、現時点においては憲法二二条の保障する居住、移転の自由を犯すのみならず、このような侵害がひいては他の憲法上の諸保障規定にも牴触するから、沖繩の本土復帰とともに、右刑罰法令は効力を失つたものであると説示する。しかしながら、右刑罰法令の対象となるのは、日本国の統治権が及んでいた地域内における移転に関する行為ではなく、アメリカ合衆国が統治権を現実に行使していた地域における出入に関する規制に違反した行為であるから、その行為を現時点において処罰することは、行為時においても憲法によつて保障されていた行為を処罰するものではないのである。したがつて、右刑罰法令が、沖繩の復帰前の行為に関する限り、現在もなお効力を有することは、憲法二二条が保障する居住、移転の自由を犯すことにはならないというべきであり、またその他の憲法上の諸保障規定に牴触するものとも認められない。

そうすると、原判決には、所論のような法令の解釈適用に誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

二控訴趣意第二点(事実誤認の主張)について。

所論は、要するに、兇器準備集合の公訴事実についてはその証明が十分であるのに、現場に被告人山田がいたとの点につき証明が不十分であるとして無罪を言渡した原判決には、事実誤認があるというものである。

よつて、審按するに、原審取調べの関係各証拠によると、本件公訴事実記載の日時場所において、中核派学生約四〇名は、旗を巻いた旗竿と約五センチメートル角、長さ約二メートルの角材を柄にしたプラカード等を持つて集合したところ、革マル派学生約一三〇名が旗竿などを持つて入つてきたため、これを進入させまいとして、右旗竿、プラカード等を前方に倒して構え、革マル派学生集団と対峙し、その状態が約十数分間続いたあと乱斗を演じたものであることが認められ、原審証人田場典宜および同天願信雄は、右対峙の際、被告人が中核派学生集団の前列中央部にいた旨各供述している。そこで、本件では、右両証人が被告人を現認、特定した正確度が問題となる。

原審第四回公判調書中の証人田場典宜の供述部分によると、同人は警察官として、被告人山田が以前那覇警察署で取調べを受けたり、救援対策の件でよく那覇警察署に来訪したことがあり、その際同被告人を見ているのでその体格が小柄であり、かん高い声を出すことなどの特徴を知つていたこと、そのかん高い声を接近して肉声できいていること、現場に被告人とまちがえるような人物はいなかつたこと、証人は、二〇メートル以内の距離から目撃していることが認められる。また同公判調書中の証人天願信雄の供述部分によると、同人も警察官として、これまでデモの都度警備にあたつていたが、その機会に被告人山田を七、八回見かけているし、一九六九年一月同被告人が逮捕され、普天間警察署や那覇警察署で留置取調べを受けているところを見たことがあつて、同被告人の体格等の特徴を知つていること、覆面のタオルが上唇の見える程度までずり落ちたとき、その人相をはつきりと確認したうえ被告人と特定していること、約一〇メートルの至近距離から目撃していることなどがそれぞれ認められるところ、当審における証人金城昇の当公判廷における供述によると、同人は当時那覇警察署警備係長として、革マル派集団と中核派集団の対峙の状況を現認していたこと、被告人は右中核派集団前列中央部に位置し、「反戦高協」と書いたヘルメットをかぶり、顔を覆面し、白半袖のポロシャツ、黒のズボンをはいていた旨証言していること、当時は、明るく目撃したときの距離は約一〇メートルであること、同証人は被告人が中核派のリーダーであり、大衆行動に指導者として参加した際七、八回ぐらいは現場で見ているほか、那覇警察署に救援対策活動として差し入れなどに来た際、五、六回は見ていて、その身長、体格も知つていること、同証人は右両派集団の対峙を約一五、六分現認していたが、その間両派は場所的に移動することはなく、混乱に陥ることもなかつたことなどが認められる。

以上の検討したところによると、右証人三名は、被告人を以前からよく知つていてその身体的特徴を把握しており、しかもその目撃状況も、一瞬というのではなく、被告人がいたとする中核派集団と革マル派集団とが対峙していた十数分間であり、その間両集団が入り乱れるという混乱はなかつたのであり、集団内の人物を十分注視してその人物の特定をするだけの時間的余裕があつたことが認められ、しかも右証人三名が被告人であると指摘する人物は同一物であることが認められるから、右証人三名が、いずれも、他の人間を被告人と見誤つた可能性は殆んどないということができ、右証人らが述べるように、被告人が中核派集団前列中央部にいたことは、高度の蓋然性があるものといわなければならない。ところで、刑事裁判において「犯罪の証明がある。」ということは「高度の蓋然性」が認められる場合をいうものと解されるから、本件の場合、被告人が中核派集団前列中央部にいたことについては、証明があるというべきである。したがつて、原審証人田場典宜および同天願信雄の証言は、被告人の特定については高度の正確度があるものというべきであり、右両名の証言をもつては、被告人が本件現場にいたことについて、いまだ合理的な疑いが残るとした原審の判断には、所論のように、採証法則に違反して証拠の価値判断を誤り、その結果事実を誤認した違法があるものといわなければならない。論旨は理由がある。

よつて、本件各控訴はいずれも理由があるから、刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条により、原判決中被告人両名に関する部分を破棄するが、原判決中免訴にかかる公訴事実については、原判決においていずれもその存否の判断がされていないのでさらに審理を尽させるため、同法四〇〇条本文の規定に従い、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(屋宜正一 比嘉輝夫 堀籠幸男)

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